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2002夏、中津旅オフ

2002年8月24日(初日)

小雨の舞い降りる2002年8月24日(土曜日)、午前9時。
私と、共催していただいた「廃線写真の旅」主宰ひでわん氏、
唯一の一般参加の若鳩氏の三人は、
熊本電鉄北熊本駅に予定通り集合した。
3ヶ月も前から企画するという、我が「倶楽部高遊」始まって以来の本格オフ会の始まりである。
目的地は大分・中津市。
電車で到着したばかりの若鳩氏と共に、ひでわんさんの車にお邪魔する。
今回、我々の行動の足は、ひでわんさんの新車だ。
コンパクトだが天井は高く、居住空間は大変快適だ。
(快く車を出していただいたひでわんさんには心より感謝いたしております。)

北熊本を出発すると、一応当サイトの趣旨に合わせるため、同電鉄線沿いの道を北上する。
途中、国道387号線沿いの、付け替え廃線区間を右に見て、現役線とも別れる。
今回のオフの主な目的は廃線跡探訪であるので、一応熊本電鉄の廃線跡も寄ってみた。
沿線で廃線の遺構が最も残る高江駅跡に停車。
旧駅舎は相変わらずそこにあった。
たまたまバスを待っていた女子高校生を無許可で(笑)激写、駅舎内を見学等した後出発。
高山の、ここがどーたら、そこがどーたら等という講釈を聴きながら、車は菊池の山奥へと進んだ。
が、しかし、話に夢中になっていた為か、ここで道を間違ってしまう。
気を取り直して予定の道まで戻り、何とか小国へ。

宮原線(みやのはるせん)肥後小国駅跡は、道の駅となっていた。
ポイントが一つと駅名票、腕木式信号機等がモニュメントとして残されている。
ここから久大本線[恵良]まで、[宮原線]の廃線跡を辿る。
大きな目的は[竹筋橋」。
これは「ちっきんきょう」と読む。
戦後間もない頃敷設された路線であった為、不足する鉄材の代わりに竹を使ったという。
国道沿いをうろうろするも、なかなか発見できない。
以前にこのあたりを取材された事のあるひでわんさんによれば、大小いくつかが点在するらしい。
ふと、マイナーな山道(だがバス道路!)に一つ目の「それ」を発見。
その後、続々と現れた、「それ」は、一見何の変哲もないコンクリート橋だった。
確かに美しいアーチ状の巨大な構造物であったが、見た目では竹が入ってるというのはわからない。
探し出すのに最も苦労した最大のアーチに暫らく見惚れた後、廃線に沿って一路北へ。

予想外にさまよった為、お腹もすいてきたし、時間も切迫していた。
次の見学予定は、久大本線豊後森駅はずれにある「旧」豊後森機関区跡。
ここには、全国でも珍しくなってしまった「扇形庫」と呼ばれる機関庫跡がある。
これまた巨大なものの為すぐ発見したが、先に空腹を満たしたい。
玖珠町内をさまよった挙句、熊本に本部のあるラーメンチェーン店に入る。
ちょっと哀しかった・・・。
庫内は倒壊の危険があるのか近寄れなかった為、離れたところから望遠で狙う。

玖珠からさらに北上。
「大分交通耶馬渓線跡」にむかう。
耶馬溪ダムの横を抜けて国道212号線に合流。
この道に寄り添うように廃線跡があるはず・・・、と、鉄橋跡を利用した自転車道を発見。
カーブした雄大な橋梁だ。
その先暫らくは道路から離れた線路跡も、やがて国道横の歩道(自転車道)として寄り添う。

ここで、せっかく通りかかったので有名観光地に寄る。
マニアックな私の主催する旅行で、一般の観光地を見るとは珍しい(笑)。
「青の洞門」。禅海和尚という仏法者がノミ一本で彫ったとかいう洞穴だ。
川をはさんだ対岸は緩やかな傾斜地なのに、何故何十年もかけてこんな岩場に
トンネルを掘らなければならなかったのか甚だ疑問だ。
今現在は一部に遺構を残すのみの、いかにも胡散臭い二車線道路のトンネルになっている。

どうやら後は平和に行けそうだ。と、自転車道を見失う。やがて、国道を渡るガーター。
ひでわんさんの指摘で横道を戻ると、「野路」駅跡が。
カーブしたホームの上に建つ倉庫と化した建物は、
私が持参した資料の現役時代の駅舎と同じものだった。

国道に戻り暫らく走ると、、今日の宿「汽車ぽっぽ」に到着。
チェックインを済ませ、再び残りの廃線跡を目指す。
中津駅は高架化されて当時の面影は無く、周辺も区画整理され市街地となっていた。
が、廃線跡と思しき歩道を発見。しかし途中で見失ってしまう。
散々苦労した結果一応の完結を見て、宿に戻る。
宿はその名の通り「汽車」で構成されている。
レストランも、我々の部屋も、今辿ってきた「耶馬渓線」で使用されていた実際の車輌なのだ。
我々の部屋は「104」「せきれい」と書かれた気動車だ。

この旅のもっとも大きな楽しみ、それは「夕食」。
じっくり楽しむ為に「豪華夕食」を注文している。
海鮮たっぷりの数々の料理と、麦焼酎に舌鼓を打ち、出来上がったところで入浴。
汗を流した後は、近くのコンビニでアルコールなどを仕入れ、部屋に戻って2次会。
具合が悪そうな若鳩さんが心配だが、ひでわんさんと2人、つい深酒。
明日はどうしようか。
夜も更けたし、明日は明日で適当にどうにかなるでしょ。
日付が変わる頃、就寝。


2002年8月25日(最終日)

7時ごろ起床。
眠気を醒ますために朝風呂に向かう。
丁度風呂から出てきたべつの団体と出会う。ハングルを喋っている。
かなり体格が良いので恐らくは何らかのスポーツマン集団だろう。
朝風呂を済ますと朝食。
この韓国人集団に二度ほど不愉快な思いをさせられるが、民族性の違いか。
まあいいや、とも思う。他は総じて良い宿だった。
朝食も済ませ、暫らくまったりとして、いよいよ出発。
まづは一番近い廃線、大分交通宇佐参宮線へと向かう。
宇佐神宮から国鉄(現JR)宇佐駅を経て豊後高田市迄通じていた私鉄で、
昭和40年8月21日付で廃止されている。
さすがに37年を経た現地は鉄道の面影がほとんど無い。
宇佐神宮から宇佐駅に向かう過程で農道がそれらしくカーブしていた。
橋台も確認。しかし持参した資料にあった「日豊線をオーバークロスしていた」
という橋脚(橋台か?)は撤去されていた。
築堤跡等もなんとなく眺めて豊後高田の駅跡につくと、
立派なバスの車庫が駅の敷地そのままの形をしていた。

さて困った。
まだ午前中である。
当初の予定ではここを見て帰途に就く筈であったが、勿体無いのでもう一つ
近場の廃線跡を訪ねる事にする。
豊後高田から国東半島を横断し、国東町へ。
国東駅跡も駅の形そのままのバスターミナルになっていた。
が、かなりわかりにくい場所にあるうえ人影もまばらだった。
ここから日豊本線の杵築まで「大分交通国東線」の跡を追う。
豪雨災害等で昭和41年4月1日付で廃止された路線で、
例によって30年以上経っているため鉄道らしい跡はほとんどない。
しかも、大分空港などの道路整備で真新しい広い道路に呑み込まれた
区間も多いようだ。バス停名などで駅跡を把握するのが精一杯だった。
途中サイクリングロードに転用されている区間で鉄道時代の橋脚などを
利用したと見られる人道橋を発見した以外はほとんど成果が無かった。
しかも、これまた資料にあった古いアーチ橋は架け替えられていた。

もう昼も過ぎたので、何処かこのあたりで昼食をとって帰途に就く事にする。
日出のマクドナルドで軽く済ませる。
若鳩さんがやはり元気がないようだ。
我々のマニアックな強行軍に付き合せた感が強く申し訳ない。
ひでわんさんばかりに運転していただくのも申し訳ないので私が運転する。
やまなみハイウェイを右へ左へ。
あとは熊本へ帰るばかりだ。
曇天の阿蘇に向かう足取りは重い。


追記:当オフにご参加いただいたひでわん氏、若鳩氏に心より感謝いたします
これに懲りず(?)是非またご参加ください。


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